佐藤慎司のことば/文化教育を考える

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<<   作成日時 : 2008/07/06 15:31   >>

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いろいろなところで、いろいろな分野の研究者、実践者、友達などなどに会って、ちょっとゆっくりする時間が取れたので、いろいろ頭の中を整理しています。そして、分からなくなってきたことがあります。というのは

1)自分はいわゆる社会科学のように一般化をするような理論化をするのではなく、一般化している様子をまとめるような研究に興味があり、これからもそういう研究をしていこうと思っています。

2)だが、自分は教育にも携わっているし、自分の研究はいつも研究を社会と結びつけるということで、社会問題などもっと大きな問題とも結びつけていなければと感じています。ということで、教育、学習をモデル化しているかという研究にも興味をもち、最近の学習理論などの観点を取り入れた実践を試みてそのデータを分析し、実践研究としていろいろなところで発表しています。したがって批判的に見るだけでなく、最近の学習(教授)理論に共鳴を持ち、(もっと表現するとか、コミュニケーション(問題発見解決、自己相互評価)するとかいった側面を今までより強調して)実践に取り入れています。

3)とすると、当たり前ですが、卵が先か鶏が先かということになってきます。そして、人間のような生ものが世の中でどう学習しているかということを実践を見ながら理論化(この場合はモデル化)しているのですが、同時に教室実践の中でそれを柱にするような活動をする(そして、そのモデルを検証する)ということはいったいどういうことなのでしょうか?それは、やっぱり自分の価値観を押し付けていることになりますよね。そして、その押し付けたモデルを取り入れた実践を見て、モデル化するというのは、、、

4)また人の学習はいつも同じなのか?やっぱり最近のテクノロジーなどはいい例だと思うんですけど、それを使うだけでなく、それによって学習のありかたもかわってきている、、、ということで、人の活動もかわるのですから、当然理論(モデル)もかわる、、


あーここまで書いていて、腑に落ちました。参与観察で研究者がどういう立場をとっても影響を与えるのだからそれを分かっていればいい、というものと同じですね。透明になろうとする「科学」的な研究の問題点と同じですね。

社会、教育に関わらない批判的研究は価値観の押しつけをしていない?これも違いますね、間接的に利用されることで、あるいは、押し付けないという価値観を押し付けるという意味で、やっぱり関わっていますよね。ということは結局、社会、教育に関わるってことは価値観の押しつけなのでしょう。その価値観を皆に分かるように、共鳴してもらうように、いわば問題発見し、解決のために「押し付ける」のが論文なんですねー。

今日は書きながら整理し、一人で納得してしまいました。締め切りをものすご〜〜〜〜〜く抱えているので、仕事に戻ります(笑)


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